九死に一生を得る(その2)

引き続き、記憶のない部分をメモしておこう。


病院に搬送された僕は、脳へのダメージを最小限にとどめるために、低体温療法を受けることに。
体温を32度から34度まで下げて、脳を保護するという。

この時、病院に駆けつけた妻と僕の上司が説明を受けたらしいが、心肺停止時間が長かったので、後遺症が残るかもしれない。社会復帰できる可能性は1〜2%といわれた。

ICU(集中治療室)でしばらく治療が続く。

■7月26日
ほぼ冬眠状態。
睡眠薬にて意識なし。

■7月27日
徐々に通常の体温へ戻していく。
睡眠薬にて意識なし。

■7月28日
ほぼ正常な体温に戻る。
睡眠薬にて意識なし。
治療はほぼイメージどおりに進んでいる、との先生の言葉。

■7月29日
睡眠薬が切れて、徐々に意識が戻ってくる。

と、ここまでが意識がなかった頃のメモです。
この先は、ちゃんと自分自身覚えています。

【この先自分の記憶】

目が覚めたら、病院のベッドの上。
何があったのかまったくわからない。
妻から、事の顛末を聞くが、イカダに出たことすらまったく思い出せない。

今日は29日。一体今まで何をしていたのか。

体には、点滴や管が。鼻には酸素チューブが。
しゃべろうにも、声がかすれてしゃべりづらい。

いろんな事が一気に不安になったが、なんだか、なるようになれって感じになる。

この時は、まだボーとしていたので、現状を受け入れるので精一杯だったんだろう。

実家からは両親が駆けつけてきてくれている。
ありがたい。

その日の夜は、目を瞑ると得体の知れない模様のようなものが襲ってくる感じがして、薬をもらって眠った。

■7月30日
上半身を起こすことができるようになる。
胸が痛むが、手足は特に違和感もない。
点滴が邪魔だが、体全体に違和感はない。

お昼は、おかゆではあるが、ちゃんと口から食事が取れるようになる。

妻や交代した看護士さんから、昨日までの状態からは想像がつかないと、かなり驚かれた。

奇跡的な回復らしい。

救助にあたった救命士のYさんが面会に来てくれた。
回復振りに驚いたようで、涙の再会(^_^)

■7月31日
ゆっくりだが、立ち上がれるようになる。
食事も3食、ちゃんと食べれるようになる。
トイレもポータブルを使えるようになる。

何度か別途の横に立ったりして、徐々に歩く感覚を取り戻す。
色んな検査の結果も全て異常なし。

■8月1日
ほぼ通常の状態に回復。
後遺症もない様子。

無事に、午後には、一般病棟へ移動。
病棟内では、車椅子に乗って自由に移動できる許可がでた。

点滴も、短時間ですむようになった。

まだ、心臓マッサージの後遺症で胸が痛む。
人工呼吸器の後遺症の、声のかすれも続いている。

イカダチームリーダーのNさんが、みんなで作った千羽鶴をもってお見舞いに来てくれた。
意識のないときにも何度も来てくれている。

皆さんに本当に心配をかけていたことを再認識。
ありがたい。

支えてくれた妻、そして家族に感謝。
また、地元や職場、NPOの仲間に感謝。