人類が去った後、ゴリラに希望はあるのか
津屋崎にて、2日間の「新しいまちづくりの学校」に参加。
テーブルファシリテーターとしての参加でもあり、今までの中でも一番の満足感&高揚感。
その高揚感が去った後に現れたのが、新たな命題。
- 作者: P.センゲ,O.シャーマー,J.ジャウォースキー,野中郁次郎,高遠裕子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/05/30
- メディア: 単行本
- 購入: 10人 クリック: 79回
- この商品を含むブログ (41件) を見る
エピローグに紹介さてている「人類が去った後、ゴリラに希望はあるのか」ということば。
ゴリラも他の動物も、人間によってその生命が脅かされている。
では、果たして、人類がいなくなれば問題は解決するのか。
課題は、果たして本当に課題なのか。
- 自然を破壊する人類がいなくなればゴリラは絶滅しないのか。
- ビルを立てなければよかったのか。
- 道をつくらなかればよかったのか。
- 農耕をしなければよかったのか。
- 狩りをしなければよかったのか。
- 人類は誕生しなければよかったのか。
- なぜ、人類は誕生したのか。
モヤモヤとした中で「まちづくり」ということについて改めて考えてみる。
・古民家再生や古い町並みの保存
・里山を守ろう、自然を守ろう
・道路やダムは自然破壊だ
古民家も、その当時は普通の民家だったんじゃないのか。
里山や自然も、むかしは取り立てて言うものではなくその辺にあったもの。
道路だって昔からあったもの、ちょっと立派にはなりすぎたけど。
もしかしたら、僕らが求めているものは
「古民家」ではなく「古民家を再生しているぼくら」
「里山」ではなく「里山を守ろうとしているぼくら」
「道路の無い世界」ではなく「道路反対、と運動しているぼくら」
まちはできるのか、つくるのか。
今のまちは出来損ないなのか。
過去に戻ろうとしているのか、未来へ進もうとしているのか。
どこへ進もうとしているのか。
もう一回考えてみたい「まちづくりって一体何なんでしょう?」