人類が去った後、ゴリラに希望はあるのか

sabo22010-02-16


津屋崎にて、2日間の「新しいまちづくりの学校」に参加。

テーブルファシリテーターとしての参加でもあり、今までの中でも一番の満足感&高揚感。

その高揚感が去った後に現れたのが、新たな命題。

出現する未来 (講談社BIZ)

出現する未来 (講談社BIZ)

エピローグに紹介さてている「人類が去った後、ゴリラに希望はあるのか」ということば。

ゴリラも他の動物も、人間によってその生命が脅かされている。
では、果たして、人類がいなくなれば問題は解決するのか。

課題は、果たして本当に課題なのか。

  • 自然を破壊する人類がいなくなればゴリラは絶滅しないのか。
  • ビルを立てなければよかったのか。
  • 道をつくらなかればよかったのか。
  • 農耕をしなければよかったのか。
  • 狩りをしなければよかったのか。
  • 人類は誕生しなければよかったのか。
  • なぜ、人類は誕生したのか。

モヤモヤとした中で「まちづくり」ということについて改めて考えてみる。

・古民家再生や古い町並みの保存
里山を守ろう、自然を守ろう
・道路やダムは自然破壊だ

古民家も、その当時は普通の民家だったんじゃないのか。
里山や自然も、むかしは取り立てて言うものではなくその辺にあったもの。
道路だって昔からあったもの、ちょっと立派にはなりすぎたけど。

もしかしたら、僕らが求めているものは
「古民家」ではなく「古民家を再生しているぼくら」
里山」ではなく「里山を守ろうとしているぼくら」
「道路の無い世界」ではなく「道路反対、と運動しているぼくら」

まちはできるのか、つくるのか。

今のまちは出来損ないなのか。

過去に戻ろうとしているのか、未来へ進もうとしているのか。
どこへ進もうとしているのか。

もう一回考えてみたい「まちづくりって一体何なんでしょう?」